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イメージする

2025年8月23日

ハイイロチョッキリが産卵したどんぐりが多数落ちている。それはアスファルトの道路上だったり、建物の横のコンクリート上だったり。ほぼ助からないチョッキリたち。良い・悪いとかではなく、こういうことがまわりで起きていることの記録。

今年3回目の乗鞍岳。サラシナショウマの花が咲いている。エコーラインに小哺乳類の轢死体(標高2090m)。じゃこうの香り。地形図にない沢。さえずりはメボソムシクイとルリビタキのみ。ホシガラスの貯食飛翔をよく見る。ウスノキの実が赤い。メボソムシクイがリゾモルファーを運んでいた。これからだと、早くても9月下旬の巣立ち。クマに注意しつつ、ヤブに入る。ニホンジカが入っていない林床。ウソがウラジロナナカマドの実を食べていた。

先日のHさんとの電話を思い出す。後立山の南部も今年はハイマツが不作らしい。乗鞍も同じような状況。で、アレの話になり、やっぱり境界は気になる。どこで線引きができるのかにもよるけど、“障壁”は現在見えるものではないのかもしれない。不在地帯があるのか、北上(or南下)の途上なのか。そして、混在しないのか。地史(成り立ち)由来を引きずっていないのか。結局それは、どういうイメージでいるか、考えているかということ。どんな想定をして生活をしているか。イメージには素養が必要で、対話も経験もいる。何を見ているか、捉えようとしているか。日常はそこに向かっているか。思考を途切れさせず、手放してはいないか。